Monthly Photo   2004年


2004年1月       

札22あ3521 
夕張鉄道 日野K−RU637AA/日野車体D3 ブルーリボンフルデッカ 1983年式



2003年秋、札ナンバー車現役最古の2台が相次いで廃車となった。
夕鉄バスの3521(と、僚車3520)である。
昭和から平成へ、そして貸切から路線へ。20年間一つの会社で働き続けた角型スケルトン車が、
静かに消えていった。

ほぼ同時期の登録であった空知観光バスの角型スケルトンフルデッカ2も5月の会社倒産でその命を絶たれ、
エアロバスの道内1期生であった札幌観光バスやばんけい観光バスの車両も廃車となって久しく、83年登録車は20年の時を経て消え去ってしまった。


新しい年を迎えて、今年も様々な車両が登場するでしょう。
しかし、その影で消えて行こうとする、そして消えてしまったバスたちを、
私は記録としてこのページに残していきたいと思います。

撮影:管理人   2002年3月31日 夕張鉄道本社にて


2004年2月       

札幌200か1190 
北海観光バス 日野U−RU3FTAB/日野車体D7 セレガグランジェット 1993年式



 新年最初の新顔は、北海観光バスに久しぶりに導入された日野車である。
同社の日野大型車は、札幌22か・716、86年式P−RU637BB(移籍車、97年同社にて自家用登録後、
98年に廃車)を最後に途絶え、小型車はP−CH160AA、(2台新車導入、1台は廃車済)がその最後の
生き残りとなり、絶滅も時間の問題と思われていたが、
今年1月中旬、突如2台のセレガGJが移籍車として戦列に加わった。
 三菱エアロ系でおなじみのこの塗装だが、これから次第に見慣れて、馴染んでいくのかもしれない。


撮影:管理人   2004年2月 新千歳空港にて


2004年3月       

札幌200か・427
札幌市交通局 に00-2
日産ディーゼルUA460KAM/富士重工17Eノンステップ 2000年式



 74年の歴史に幕を下ろす札幌市営バス。
すでに昨年、琴似および藻岩営業所が民営事業者に委譲され、残る東・新川の2営業所がこの3月をもって
委譲されると、ついにアイボリーと赤、そして緑色の車体ともお別れとなってしまう。
 長い歴史の中で、ステンレスボディを始めとする豪華な観光バスや1960年代に実用化した中扉4枚ワイドドア
のツーマン路線バスなど、画期的な車両を生み出した輝かしい軌跡は、ノンステップバスに引き継がれて
この最後のときを迎えようとしています。

 新旧シンボルマークに共通して描かれる「星」。
市営バスがこの街から姿を消して、本当の星になる日まで、あと一月足らずです。

撮影:管理人   2003年11月 東営業所前にて


2004年3月スペシャル画像
白石営業所-1970年代(川口 哲彦様撮影)

手前は札22あ・274(に396 日産ディーゼル4R106/72年式 富士重13E)、隣は元定山渓鉄道の日デ車。
懐かしい風景が広がる一枚です。


2004年4月       

札幌22か・616
札幌市交通局 に89-3
日産ディーゼルP−UA33N/1989年式  富士重工17E 



 23時半をやや過ぎたころ、このバスが営業所に帰ってきた。
前日までは当たり前のような風景だったことが、この日を最後に、当たり前の日常から消え去ってしまう。
それが2004年3月31日の出来事だった・・・。

 東営業所に帰ってきた最後の市営バスは、この「東に89-3」号。22時58分に環状通東駅を発ち、豊畑への
最終便を走り、回送で帰ってきた。いつも走り慣れた仕業。でも違っていたのは車体に施された「ありがとう
ございました」の装飾と、ファンや地元の人々等の出迎えであり、明日からは北海道中央バスとして新たな
人生を歩むバスにとって、最後の市営バスとしての姿。そして、茶色の制服でバスに乗務する、これまで
安全運行に務めてこられた、乗務員の皆さんの最後の姿である。

 ・・・おつかれさま、市営バス。
そう呟いた夜、胸に星を抱いたバスたちは、この街の空の星になった。


撮影:管理人   2004年3月31日 東営業所前にて


2004年5月       

旭川200か・397
道北バス
日野U−HT2MLAA/1991年式  日野車体



 つい最近までの道北バスといえば、首都圏某社で活躍した日デ車が第2の人生を歩むところ、という
イメージが強かったと思う。U32・33系が多数在籍し、富士重17E車が新車?という顔をして
旭川の街中を走っていたような気がする。

 しかし、同社の車両たちに異変が起きている。塗色が、どう見ても某首都圏公営交通のままとしか思えない
車両が増え始めているのである。中にはしっかりと塗り替えられた車両もいるのだが、横や後ろから見ると
大都会にいるような気がするのである(笑。
 また、日デ以外の日野・三菱の車両も転属していて、バラエティに富んだ顔ぶれは見ていて非常に楽しい。
ちなみに車体そのものは美しく、まだまだ使えるこれらの車両を捨ててしまうのは勿体無いと思えてならない。

 裏を返すと、首都圏の排気ガス規制強化と地方バス事業の厳しさが見えてくるのだが、これもまた現代バス
事情の一面を見る風景と言えるのではなかろうか。

撮影:管理人   2004年4月 道北バス本社営業所にて


2004年6月       

札幌200あ・178
北海道中央バス
いすゞBXD30/1966年式  富士重工T7



 −元祖「小樽ロマン号」の復活−
1988年から1996年11月まで、小樽市内を路線や定期観光で走っていた中央バスのBXD。
その引退後は保存車として芦別営業所の車庫に保管されていたのだが、この春、およそ7年半ぶりに
ナンバーが付けられて復帰することとなった。
 今回も小樽市内をベースに定期観光専用として使用されるが、塗装を改め、さらに内装も模様替えした上で
(以前は札幌22か・・16と大板であったが、今回は立席定員を取らなかったためマイクロバス同様の
ナンバー)満を持しての復活である。
 この調子でRVフルデッカなどの保存車もナンバーを・・・と言いたいところだが、そんな希望を引っ込めても
こうして現役でナンバーを付けて走っているのが、ちょっとうれしいBXDの復活である。

撮影:管理人   2004年4月 中央バス真栄営業所にて


2004年7月       

札幌22か1131
千歳相互観光バス
いすゞP−LV719R/1987年式  アイ・ケイ・コーチH601 スーパークルーザーSHD



 最近、かつて採用されていた塗装の復活が道内バス会社で盛んである。
先鞭をつけたのはニセコバスの札幌22か1563。ふれあいシャトルと名づけられたニセコ町内の循環バス
路線専用車に起用されたのを機に、白地に青ラインの、同社オリジナル塗装を復活させた。他にも道北バスの
三菱MPエアロスターK、1台が学習塾「たいせつゼミ」広告車として旧塗装を復元させた。道北の車両は
リンク先のサイトでも画像が見れるので他の機会に譲り、今月の表紙として観光車の復活塗装を紹介。
 千歳相互観光バスのいすゞLV2台が今年春から、ご覧の塗装に変更されて、旅行会社企画旅行を中心に
活躍している。「現行路線車の塗装でしょ?」たしかに正解。でもこの色は、かつて観光車でも採用されていた
のである。
 日野RC・RV・RSや、三菱B8。他にもいすゞCCMなど、ブルーバスグループ設立前の同社の観光車は
この色を纏って全国を駆け回った。梯団で走る姿は、サイドの鳥が連なって飛ぶように見えて美しかったとか。
 LVは9列のシート配列に改められたゆったり内装で、北海道の夏を駆け抜けてゆく。

撮影:管理人   2004年6月 新千歳空港にて


2004年8月       

札幌22か2264
北海道中央バス
三菱U−MS826P/1994年式  三菱自工名自 ニューエアロバスハイデッカ



 2000年に北海道中央バスの分離子会社として設立され、観光貸切部門を担っていた中央観光バス。
しかし競争激化などによって、今年春にその業務を終えた。貸切は中央バス本体とグループ各社が引き
継いだが、大幅に台数規模は縮小されている。
 これによって捻出された車両のなかには、中央バス本体に戻ったものの、貸切運用から外れて都市間
路線に活躍を始めたものが多数存在する。現時点では塗り替えられずに、ワンマン機器の搭載など最低限
の変更で使用されている。写真の車両もその一例であるが、もうニューエアロバスも貸切から外れるほど
時は流れているのかと実感させられる次第である。ちなみに1995年式までが路線使用されているのを
確認している。
 その他新車の導入などにより、都市間路線車の若返りが実現し、92年前後までの車両に廃車が発生
している。旧世代のエアロバスやブルーリボンのほか、セレガや富士重17M車にも引退の時期が来ている。


撮影:管理人   2004年7月 札幌駅前バスターミナルにて


2004年9月       

函館200か・254
函館バス
日産ディーゼルKL−UA452MAN/2004年式  西日本車体
96MC B−2ノンステップ



 私事だが、管理人は5.6年前に函館で暮らしたことがある。
その頃の函館は、市営バスにも函館バスにも三菱「ブルドッグ」MPが結構いて、前者には縦置きエンジン
スケルトンの日野RT、後者には日デU31の富士13Eボディなど、旧型車の活躍が続く時代であった。
 それから・・・ この夏私は、4年ぶりに函館を訪れた。
駅前の変貌に驚き、バスの変貌にも驚いた。市営バスが消えて民営一元化になった事は聞いていたが、
その顔ぶれの変化にも、年月の過ぎたことを改めて認識させられた。函館バスでいすゞ車が活躍し(実は
約35年ぶりの復活なのである)、市内線ではノンステップバスがかなり普及してきている。
 「あの頃」には信じられなかったことが、いま現実になっている。
 今月の表紙は、今年導入された新車である。西日本車体であることも、当時は考えられなかったこと。
もちろん、富士重工業がバス架装から撤退することも、当時は想像できなかったことなのだが。

撮影:管理人   2004年8月 函館駅前バスターミナルにて


2004年10月       

札22あ1993
美鉄バス No.79
三菱MS513N/1978年式  呉羽自工H型標準床



 最近、ある解体ヤードに、美鉄バスのMS513Nがあったことを人から伝え聞いた。
道北のとあるバス会社の敷地にしばらく置かれていた車両である。
私が思うに、3台あった僚車のうち最後まで使用された79号車こと1993号ではないかと思われる。(注
 また一つ、美鉄バスの足跡が消えていく。

大夕張と札幌を結んで活躍していたMS513N。
大夕張撤退後も、美唄で細々と生きていた79号車。
まさか美鉄バス自体が消滅するだなんて、思ってもいなかったあの頃。

 形は消えても、この1枚の写真のように、私の思い出の向こう側で走り続けている。

撮影:管理人   1997年10月 夕張市シューパロ湖畔にて

注:とっつぁん坊やさまによると、解体車は80号車ということです。
  同型3台のうち1台は某バス会社、もう1台はとある山中、ほか1台は不明(81号車)
  とされるので、山中にあるのが79号車かもしれません。


2004年11月       

札幌22か2493
北海観光バス
三菱U−MS821P/1995年式 三菱自動車バス製造 ニューエアロクイーン3



 アンダーフロアコックピット(UFC)式スーパーハイデッカで、現在も唯一の国産現行車種として
生産されている三菱ふそうエアロクイーン3。この車両を北海道で所有して「いた」のが、シノヤマ
観光(KC−MS822P。すでに除籍)と北海観光バスのみである。特に後者はエアロクイーンMS8系
を1・2・3とボディバリエーションのすべてを揃えていたことでも注目される。
 だが・・・過去形で紹介していることでもお分かりのように、今年10月をもってこの車両も戦列を
離れていった。同社唯一の存在でもあり、梯団などでは使いにくい部分もあっての判断と推測される
が、エージェント契約車やフルラッピングバスなどの華々しい活躍もあっただけにその引退が惜しまれる。
こちらも併せてご覧ください〜2001年8月の表紙にも登場しました。)
 今後は遠く離れた九州の地を踏むことになったそうで、2493の末永い活躍を願ってやまない。

撮影:管理人   2003年 新千歳空港にて


2004年12月       

札幌22か・328
札幌市交通局
三菱P−MP618N/1988年式 新呉羽自工 エアロスターK



 今年のビッグニュースといえば、札幌市交通局のバス事業廃止を外すことはできない。
長年親しまれた赤と緑の市営バスは、民間に譲渡後そのほとんどが廃車もしくは塗り替えられていった。
しかし、2003年4月に藻岩営業所を引き継いだじょうてつには、市営バス旧塗装車が3台塗り替えられずに
最近まで車庫に並んでいた。札幌22か・328、札幌22か・348と・350である。
その3台のうち後者2台は、つい最近導入された首都圏事業者からの移籍車によって代替された。
残るは・328だが、これも間もなく消えることになるのではなかろうか。
来る2005年を前に、これで名実ともに市営バスの姿が見られなくなろうとしている。

(余談ですが、じょうてつで・351が、唯一88年式市営バスで塗り替えられた車両としてこの他に現役です。)
最後の「赤バス」を守った・328の市営バスでの姿を、今年最後の表紙とします。

撮影:管理人   2003年 札幌市交通局藻岩営業所にて


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